ドッヂボールが教育的にOKか考えてみた

先日、「ドッヂボールは非人間的で害」という論文を、カナダBritish Columbia大学のバトラー教授が出したというニュースがありました。

ドッヂボールを、「合法ないじめ」と表現していたのは興味深い。

逃げ惑う女の子を見て、バトラーさんは、「彼女は、今狩りにあっています。この体験から何を学ぶでしょうか?クラスメートと関係をつくるということよりも、人を犠牲にしてもよいということを学びます」とCBCのインタビューに答えています。

 

このニュースを聞いて、苦手な子たちの歓喜の声が聞こえてきそう(笑

 

カナダのドッヂボール協会の会長Duane Wysynskiさんは、ドッヂボールの核は「インクルージョン」(一人一人の能力や強みを生かして一体となる感じ)だとインタビューで反論しています。チームワークと戦略を学ぶとな。

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個人的には、小学校のころは毎日ドッヂボールをして、楽しい思い出がいっぱい。

強いボールをキャッチしたときの高揚感、当てた時の達成感、ボールを避ける緊張感、楽しかったなぁ。

意図的に「あいつ弱いから当ててやる!」とか、特定の人を痛い目に合わせようということはなかったし、むしろ、強いヤツを当てるために、パスをつないで足元狙って・・・と、チームワークを駆使して仲間と協力した記憶。

 

苦手な人には、痛くないように足元狙ったり、それなりに配慮や優しさもあったと思うわけです。

 

そんな思い出を抱えながら、ドッヂボールを教育的に廃止するべきか、大学の授業で試してみました(笑

 

女子大生20対20で本気のドッヂボール。
ボールはソフトバレーのボールを使用。

 

<結果>

プラスな印象・・・
◇みんなが知っている国民的スポーツで、ルール説明がいらない
◇当たりたくないから一生懸命動く
◇悲鳴もあるが、全体的に盛り上がっている感じ
◇運動の得意な人が、生き生きと本気で投げる
◇よい意味で遠慮がなくなる
◇とはいえ、頭とかに当たってしまうと「ごめんね!」と配慮もある。
◇ボールをキャッチしたり、仲間が当たったボールを空中キャッチしたり、ファインプレーが多発して、盛り上がる
◇当たっても痛くない(ソフトバレー使用)

【学生からのプラス感想】
・よいチームプレイができた
・ドキドキ感が楽しい
・まだ投げていない人にも平等にいくように心がけている人がいて、見習いたいと思った
・みんなの性格が出ておもしろかった
・これまでクラスにあった遠慮がなくなって、みんな思いっきり楽しんでいた
・ボールをキャッチして、チームに貢献できたと思った
・チームメイトを守って絆を感じた

 

マイナスな印象・・・
◆逃げ惑う苦手な人たち
◆「キャー!!」という悲鳴と、恐怖に怯える顔
◆だれかの影に隠れて、他人を犠牲にして自分の身を守ろうとする

◆もはや取る意欲はないので、背中を向けて無抵抗な状態を当てられる
◆投げるのが苦手な人は、ボールを拾っても得意な人に渡して投げない
◆苦手な人は、外野に出てから何もしない(運動量少ない)

【学生からの感想】
・普段優しい雰囲気のみんなが、ドッヂボールになると豹変して怖かった
・球技の中で一番苦手で、ずっと心臓がバクバクしていた
・人を当てたりするのが嫌だし、逃げるのも怖い
・すぐ当たってしまって、チームに迷惑をかけたと思った
・あまり知らないクラスメートに強く投げることに抵抗を感じた
・ドッヂボールは性格が悪くなりそう

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で、個人的な思いと見解。

ウチの息子たち with ボール

「関係性があって、やりたい人たちでやるのは楽しい」

 

点数を取って競うスポーツやゲームと違って、ドッヂボールは「相手を当ててアウトにしていくゲーム」という時点で、「集団の関係づくりをする」という目的には不向きかなと思う。

海外のドッヂボールはボールが複数?あるので、一人のプレーやエラーに注目が集まりにくい。日本はボール1個だからよくも悪くもプレーが注目されるし。

 

PA(プロジェクトアドベンチャー)のファシリテーターという立場からは、集団の関係性を作るために

・競う
・叩く(当てるなど痛さが伴う)

という要素は、普段あまり使わない。

「じゃんけんで勝ったら、相手の手を叩いてください」みたいなゲームを初対面の人とペアでやらされたことがあったけど、すごく困ったことがあります。

 

長馬とびとか、騎馬戦とか、はりつけ(壁に人を立たせてボールをぶつける)とか、痛い遊びはたくさんある。
それを思いっきり遠慮なくできるようになるにつれて、友だち関係が醸成されてくる感覚も大切だと思うので、痛い遊びも大事。

 

ただ、学校教育の場で「全員参加」として、「人間関係を温めない可能性がある遊び」をやるのはリスクがある。

指導者(先生)の言葉やフレーミングも大事。

ドッヂボールは、別名「Marder ball」(殺人ボール)。

「相手を全滅させろー!」とか怖い。

鬼ごっこでも、「タッチされたら死にます!」とか。
「思いっきりぶっ叩いてください」、「相手を騙して」、「エラーがあったらごまかして」、「アウトになったら参加できません」etc… 教育の場で「あそぶ」ときは、あまり使わないほうがハッピーだと思う。

 

「他の人を邪魔してください」 → 「積極的に関わってあげてね」

「叩く」 → 「タッチする」

「アウトです」 → 「外から応援してね」

 

言葉一つで、だいぶ印象は変わります。

 

 

仲間と休み時間に遊ぶとき、学外の公園で遊ぶとき、遊びのフレーミングが「タブー的」だから楽しいこともたくさん。で、そんな体験から学ぶこともたくさんあるわけで。

 

ドッヂボールは「非人間的だから禁止しましょう」ってことではない。

幼稚園でも小学校でも、先生は集団のどんな様子を見て、どんな意図を持ってドッヂボールをクラスでやるか、一度考えてみるきっかけにはよい論文とニュースだったのではないかなぁ。

 

 

 

 

支援の選択肢

「子どもの支援」をテーマに、ある保育園の研修を担当させていただいたときのこと。

一人の男性保育士が、「木登りで、子どもに『おしり押して!』と言われると悩む」ということを話してくれました。

そこに悩めるって素晴らしいことだと思います。

で、結局のところ、子どもや状況によるので答えはないのだと思いますが、自分の中でどんな選択肢があるのかを考えておくことって大切。

・子どものおしりをしっかり押して登らせて上げる?
・とりあえず木の真下に立って、落下したら受け止めてあげる準備をする?
・「大丈夫。◯◯ならできると思うよ」と勇気づける?
・「両手で押す?それとも片手?それとも小指だけ?」と押す選択肢を渡す?
・「本当に押してほしいの?それとも一人で登りたいけど登れないと思っているの?」と確認をしてみる?
・押もせず、近くにもいかずに見守る?
etcetc…

 

「一人で登らせたい」、「成功体験をさせたい」というのは、大人の願い。

「とりあえず登りたい」、「自分で登れるようになりたい」、子どもはどんな願いを持っているのか?

となると、やっぱりチャレンジャーの目標=「どこまでいきたいか?」「どうやっていきたいか?」を知ることなしに、支援の形を決めるのは難しいと思うわけです。

だから、ついつい「どうしたい?」と聞いてしまいます。

登れないことは失敗ではなく、試行錯誤のプロセスの一部だと考えられる支援者でありたいし、子どもたちにもそう考えられるようになってほしい。

今日は手伝ったから登れた、明日は一人で登れるかもしれない、そんなことが起こるかもしれない。

 

なぜ子どもをほめるのか?

大人が子どもを褒めるのはなぜか、改めて考えてみました。

褒められることは、安心感や自信につながるんですよね。
大人だって褒められればうれしくないはずがない!!やる気にもなる!

そして、きっと褒めるのは、「承認するため」なのだと思います。
言い換えると、承認するための一つの方法が褒めること



だからきっと他にも…

◆何かを任せること

◆意見を求めること

のように、相手に「あなたのこと頼りにしてるよ」って伝えることも承認。

◆あなたがしてくれたことが、私にこんな影響を与えていると伝えること
「きみが◯◯してくれたおかげで、わたしはこんなに助かった!」

とか、

◆お礼を言うこと
「ありがとう!」

なんかも認められる感覚になります。

意外と、

◆他人にその子のことを伝える
「◯◯くんは、これが得意なんだよ!」

「こんな素敵なことしてくれたんだよ!」

なんていう公開噂話、うれしいですよね。

◆贈り物をする

なんでもない日に日頃の感謝や承認を伝えてプチギフト。
こんなことも、日頃がんばっててよかったって思う瞬間。

他にもあるかなぁ、子どもを承認するために大人ができること。

◆「大好きだよ!」と無条件の愛を伝える

これこれ!魔法の言葉です☆
他に「味方だよ!」「宝物だよ!」が同義語。


もう一つ考えたこと。

褒めるには2種類あるということ。

  1. 心から沸き起こる感嘆や感動、感謝や承認をそのまま伝えるとき
  2. 子どもに何か伝えたくて褒めるとき (自信をもってほしい、善悪の判断を伝えたい、安心させたい、行動を変えたいなど)

できることなら1番で伝えたいなぁと思いつつ、いかに2番で褒めることが多いことか!!
よく、褒めることが「評価」にならないように…なんていう話もありますよね。

大人が作為的に子どもを褒めることは、どうしても縦の関係が見える。
横の関係で「承認」することを意識すると、子どもへの「褒め方」が変わってくるのではないでしょうか。

「すごいね!」

「エライね!」

「お兄ちゃんだね!」

「カッコいいね!」

という言葉、一見良さげですが、どうも評価している感じがする。


「(わたしは)うれしいな!」

「(わたしは)感動した!」

「(わたしは)楽しい気持ちになるな!」

と、そんな風に伝えてみると、大人が自分の感想を言っていることになるから問題なし。
これで子どもが受け取るメッセージがどう変わるか試してみたいですね。

「がんばったね!」は評価、「がんばっているね」は事実やこちらが思っていることのフィードバック。
結果ではなく、プロセスを認めることも大切だなぁ。

褒めること・・・奥が深い☆