人の子、ウチの子。

空いている日は、なるべく息子(もうすぐ2歳)を連れて近くの公園を開拓。

息子くんは、ついつい家の中での遊びが多くなるのと、大人と遊ぶ時間が長くなるので、公園で近い年齢の子と遊ぶのを大切にしています。
そして僕の性格上、色んな親子に声かける(笑

公園で遊んでいると、親同士の「子どもの遊びを見守る感覚」の違いに多々遭遇。

 

先日出会ったお母さん(with メガネ)は、3人の子どもを連れて公園で遊んでいました。
そのメガネ母さんは、一番下の女の子(1歳半くらい)と砂場遊んでいて、上のお兄ちゃん二人(5-6歳くらいの年子)は、滑り台をヘッドスライディングで激しく滑っていました。

メガネ母さん
「こら!◯◯!!危ないからそんなとこつかむんじゃないのっ!」
「そんなすべりかたするんじゃありません!」

と、結構厳しめ。

そんなメガネ母さんが、砂場の横のクライミングホールドのついた斜面を登ろうとしているSakutoに気がついて声をかけてきました。

メガネ母さん
「あら〜かわいいわね〜。ほら〜上手ねぇ〜。はい、ここに足をかけてねぇ〜。あら〜上手よ〜。」と甘々な声。

Sakutoは結局のところ、本当に登りたかったのかわからないけれど、メガネ母さんの誘導のもと10分以上かけて上まで登らされる。登らせていただく。

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その後、別の滑り台でSakutoが遊んでいたら、先ほどのメガネ母さんと3人の子どもたちもやってきました。

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また、その男の子2人が、お互いを引っ張りあいながら滑り台の階段を登って、競うように滑っているのを見て、

「ダメ!!って言ってるでしょっ!」とメガネ母さん。

Sakutoがのんびりと滑り台の階段を登っていると、その男の子の一人が「おい!赤ちゃんきたぞ。早く行け!」と弟に指示をして、先に登ってSakutoに滑らせないようにしました。
Sakutoは、そういう意地悪をまだよくわかっていないので、ポカーンとしているだけだったけど。

「赤ちゃんはダメだよー」とかなんとか、男の子がSakutoに言っているのを聞いて、

メガネ母さん「ダメって言わないのっ!!」とまた怒る・・・。

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「ダメ」と言って育てれば、「ダメ」という子になる。
親の口癖は、そのまま子どもが鏡となる。

ついつい「ウチの子」には厳しく、「人の子」には甘くしてしまうこと。
ウチの子は、愚息、ダメ息子、問題児etc…そんなことは言わずに、愛のある言葉をかけたい。

近所の子にも、自分の子にも分け隔てなく、愛情を持って関わりたいもんです。

 

支援の感覚

息子Sakutoが1歳1カ月のこと。

「初めの一歩」はすでに見ていたものの、公園でいきなり7歩歩き、父(とと)びっくり。

と、その帰り道に滑り台に興味深々。
抱っこを下ろすと、一人でハイハイしながら滑り台へ。

下から逆登りをしようとし始める。

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靴下が滑るので、脱がしてみる。

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すると、まあなんということでしょう!!

右側の縁を持って、登り始めるではないですか!

興奮する父。
登る子。

・・・

さらに登る子。
わくわくしながら写真を撮る父。↑上の写真がそれ。

・・・

だんだん焦る父。

・・・

落ちてもよいように、下に手を構えておく父。

・・・

ぐんぐん登る子。
手が届かない高さになって、慌ててリュックと抱っこひもを下ろす父。

・・・

ずり落ちるのを想定して下から追いかけて登るか、登りすぎて向こう側に落ちるときのために階段側から急いで登って上で待つか悩み、さらに焦る父。ドキドキ。

・・・

階段から駆け登り、上で両手を広げて待つ父。
笑顔で楽勝で登り切る子。

安心する父。

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自分の立ち位置、手の出し方、焦りやドキドキ感の気持ち。
→もしかしたら落ちるんじゃないかという不安感。
→まだこの子には登れないんじゃないかという疑い?

普段、人のチャレンジを信じて待つべし!とかなんとか言いながら、まんまと我が子の突発的チャレンジを不安な気持ち満載で狼狽えながら関わった自分でした。

自分が同じ立場になって想像できること=経験していること(覚えていること?)には、ある程度の予測を持って見守ることができる。

何が起こるかが想像できないとき、大人として、支援者として、どんなスタンスで関わるか。
「万が一」の事態を想定することは大切。

心のどこかで「できないかもしれない」という疑いを持って見守るのか、「きっとできるはず」と信じて見守るのか?

子どもの行動を心から信じること。

その心の持ちようは、ぼくらの表情や言葉の端々にあらわれて、子どもに伝わるんだよなぁ。

なぜ子どもをほめるのか?

大人が子どもを褒めるのはなぜか、改めて考えてみました。

褒められることは、安心感や自信につながるんですよね。
大人だって褒められればうれしくないはずがない!!やる気にもなる!

そして、きっと褒めるのは、「承認するため」なのだと思います。
言い換えると、承認するための一つの方法が褒めること



だからきっと他にも…

◆何かを任せること

◆意見を求めること

のように、相手に「あなたのこと頼りにしてるよ」って伝えることも承認。

◆あなたがしてくれたことが、私にこんな影響を与えていると伝えること
「きみが◯◯してくれたおかげで、わたしはこんなに助かった!」

とか、

◆お礼を言うこと
「ありがとう!」

なんかも認められる感覚になります。

意外と、

◆他人にその子のことを伝える
「◯◯くんは、これが得意なんだよ!」

「こんな素敵なことしてくれたんだよ!」

なんていう公開噂話、うれしいですよね。

◆贈り物をする

なんでもない日に日頃の感謝や承認を伝えてプチギフト。
こんなことも、日頃がんばっててよかったって思う瞬間。

他にもあるかなぁ、子どもを承認するために大人ができること。

◆「大好きだよ!」と無条件の愛を伝える

これこれ!魔法の言葉です☆
他に「味方だよ!」「宝物だよ!」が同義語。


もう一つ考えたこと。

褒めるには2種類あるということ。

  1. 心から沸き起こる感嘆や感動、感謝や承認をそのまま伝えるとき
  2. 子どもに何か伝えたくて褒めるとき (自信をもってほしい、善悪の判断を伝えたい、安心させたい、行動を変えたいなど)

できることなら1番で伝えたいなぁと思いつつ、いかに2番で褒めることが多いことか!!
よく、褒めることが「評価」にならないように…なんていう話もありますよね。

大人が作為的に子どもを褒めることは、どうしても縦の関係が見える。
横の関係で「承認」することを意識すると、子どもへの「褒め方」が変わってくるのではないでしょうか。

「すごいね!」

「エライね!」

「お兄ちゃんだね!」

「カッコいいね!」

という言葉、一見良さげですが、どうも評価している感じがする。


「(わたしは)うれしいな!」

「(わたしは)感動した!」

「(わたしは)楽しい気持ちになるな!」

と、そんな風に伝えてみると、大人が自分の感想を言っていることになるから問題なし。
これで子どもが受け取るメッセージがどう変わるか試してみたいですね。

「がんばったね!」は評価、「がんばっているね」は事実やこちらが思っていることのフィードバック。
結果ではなく、プロセスを認めることも大切だなぁ。

褒めること・・・奥が深い☆