ワークショップデザイナー

青山学院大学で、WSDこと、ワークショップデザイナー育成講座10期を昨年度に受講しました。
10期、12期修了生スタッフ、奈良の大学でのTAと、ようやっと一段落ついたところで、少し振り返ってみようと思います。

WSDでは「ワークショップとはなにか?」を大人がわくわくする学びの場で、たくさんの出会いと共に学びました。

<WSDの紹介ムービー>

(僕もどこかに映っています)

ワークショップの歴史や知識を学んだこと、体験を通して感じたこと、改めてファシリテーションについて考えたこと、同期の仲間たちと真剣に一つのワークショップをデザインする中で自分のコミュニケーションスキルや関わりのスキルに気づかされたこと・・・。

年齢も職種も関係なく、真剣に話し合った時間は、とても充実した時間でした。
特にヒットしたキーワードは、

▼F2LOモデル
▼発達の最近接領域
▼ワークショップの評価法
▼ワークショップの定義
▼恊働性・身体性・即興性・自己原因性
▼正解ではなく納得解
▼できる→わかる→分かち合う=社会構成主義学習観

アドベンチャー教育の本では出てこなかった「体験学習」に関係する理論やモデルをまた少し知ることができたのは、とても良い学びでした。
そして、まだまだ言葉だけで「わかってない」ことだらけ・・・ということもわかりました。

10期を受講したご縁から、12期の修了生スタッフを担当する機会もいただきました。
人が違えば体験も違う。立場が違えば視点も違う。
WSDの学びを客観視し、さらに俯瞰的に見ることができたのはまた貴重な経験でした。

経験値の高い参加者に対して、着飾らない等身大の自分で、精一杯支援をすることは、自分にとって心地よいものでした。

「講師」とか「先生」という立場よりも、「支援をする人」「サポーター」という立場が、自分にとってやりがいのあることだということも再確認。
それは、相手が子どもであっても、大人であっても変わらない感覚。

思えば、数年前まで大学で助手という立場で働いていたときも同じでした。
大学生は「チームメート」「仲間」という関係性。
その感覚と立ち位置は、どこに行っても基本的に今も変わってないみたいです。

そしてなによりも、この経験で出会った「面白い人たち」とのつながりが、さらにまた色々なことに発展。

仲間が人事担当をしている会社の内定者研修で、内定者と共に研修を創るプロジェクトを担当させてもらったり、音楽を使ったワークショップの開発をしたり、国際理解教育や英語教育の中で何かできないか模索したり、仲間の職場訪問したり・・・。
またその流れの中で、お世話になった先生に誘われて「子どもの育ちを考える会」という幼児教育に携わる先生たちの勉強会の立ち上げの手伝いと、会の話し合いの進行を担当させていただいたり。

いわゆる「アクティビティ」やプロジェクト・アドベンチャー施設(ロープスコース)を使わないファシリテートの機会は、自分の力を試す良い機会となっています。

今年は、奈良にある大学でのワークショップを使った授業のアシスタントにも行かせていただく機会もあり、本当に色々な経験を積ませてもらっています。

このプログラムを受けて、今改めて思うことは「人の多様性とつながりの大切さ」です。

ここでもらった色々な種を、未来に向かって発芽させていきます。

小さな哲学者たち☆

小さな哲学者たちという映画を見て、それについて対話をするワークショップに参加したMemo。

公式サイト:
http://tetsugaku-movie.com/
以前、レンタルで借りて、返却前夜の遅くに見始めたら、最後記憶がなかった・・・
という経験があるので、まずはきちんと観たかったということ。
あとは、それをもとにした対話の時間に興味があったということで参加してきました。

現在の幼稚園での仕事、アドベンチャー教育のファシリテーターとして、色々なところに生きる気づき・アイディアをもらったので、忘れないうちにメモ・・・。

<Memo>
◆考える=疑問に思う ということは、学びの意欲の原点。
大人が考えている「当たり前」を、子どもたちは容赦なく「なぜ?」と疑問に思うことができる。
考える習慣をつけること。
テレビでのニュース、慣習、文化etc…
日常のことで、「当たり前」だと思っていることに対して、思考しなくなっている大人が多い。
青山学院大学の苅宿先生の言葉を借りると「思考停止社会」になっている。

感情も同じかな。
日々ニュースで流れる悲惨な事故などでも、慣れすぎてしまうと何も感じない。
他人にしてもらうことに対する感謝、人の悲しみへの共感、など、「感情停止」してしまっていることも多々あるのではないか。
子どもは日々感情の渦の中にいる。大人は?
「感情」を循環させる体験を意図的にしてあげることが必要だと思う。

◆子どもの言葉=家族・先生?(メディア)など身近な人からの言葉のシャワーを浴びた感覚的な語彙
→体験を通して意味付けた言葉へ
何気なく使っている言葉が意味することは何なのか・・・子どもなりに改めて考えることで、意味付けをする。
例)死とはなにか?
日頃、「死ぬ~」とか遊びの中で言うけれど、それが意味することを知っているのか?
息が止まること、天国へ行くこと、カブトムシが動かなくなること、家族の死etc….
何か、体験としてその言葉の意味を知っているのか?を訪ねてみると、その子なりの定義が生まれる。
そして、その定義/言葉の感覚は、子どもによって異なる。
友達とは?好きとは?子どもの仕事は?

◆教師の(親の)ファシリテーション力
「なぜ?」「続けて!」「◯◯ってどういうこと?」「それは、テーマとどう関わってくるの?」
子どもの世界観での話は、時として大人の想像を超えた視点から入る。
それに対して、「関係ない話はしない!」とSTOPするのではなく、「待つ」「聴く」姿勢を持つ。

心から、その子の話に興味を持つ姿勢=純粋な好奇心

勇気づけること。
子どもの考えを否定しないこと = 評価もしないで聴くこと。

TOYOTA式は5回なぜを繰り返すというが、
なぜ? → なぜ? → なぜ? と、3回、子どもの発言に対して、問いを重ねると本質が見える。
子どもの好奇心は、学ぶ力の原点であるということを感じさせてくれる映画だった。
幼児教育に携わっている社会人で、この映画を観てダイアローグを重ねると、どんな話になるんだろう?
また、ファシリテーターを志す人たちで、この映画を観てから、「ファシリテーターのあり方」を話すのも面白そうだ。

色んな視点で観れる映画で、ぜひまた観てみたいと思った。
以上、忘却録でした。