2016年ゲーム合宿

毎年恒例の新年学びの場。
僕にとっては、新年に仲間と出会って、笑って、エネルギーを充電する日でもあります。初めましての人、懐かしい人、二日目の終わりにはみんながハグできちゃうくらいの間柄になれる不思議な空間。

学校の先生を始めとして、教育に関わる人が70-80人集まって、「ゲーム」をたくさんやってみる中で、毎回様々な学びがあるんです。

「ゲーム」=遊び

と言ってみるけれど、それを教育現場では目的をもった「アクティビティ」として使うことだってできる。

でも、FUNN(Functional Understanding is Not Necessary = 機能的な理解は不必要な楽しさ!!)を大切にしている集まり。
目的やねらいを持って活動をすることも大切だけれど、無条件に楽しく活動するということの大切さを忘れちゃいけないと思い出させてくれる場です。

ということで、二日間たくさん動いて、たくさん笑いました。
大人たちが真剣にくだらない遊びをやって、涙を流しながら笑いあえるということが素晴らしいなぁ。


夢中になって遊んでいる瞬間は、心が「今・ここ」にいる状態。
「遊びの目的は行為そのものの中にある」ということで、きっとその行為をすることで人は快の感情を感じているはず。

自分が好んでその活動(遊び)をするのだから、自分がその世界の中心にいられる。そして、その世界は自分が想像し、意思決定できる。

遊びに没頭できる子っていいなぁと思うわけです。
反対に、大人や周囲に気を使ったり、集中できずに「遊べない子」もたくさんいるわけで。

アドベンチャー教育系の遊びは、基本的「集団での活動」。
誰かと一緒になって、真剣に夢中になって遊べるということは、その人間関係にはきっと「安心・安全」を感じられるということなんだろうなぁ。

だれかと一緒になって、遊びに夢中になれるということは、環境や周りに対して安全を感じて、さらにその人との関係性にも安心を感じられるということ。

それが、グループで一緒に遊べる・・・ってすごいことだなぁと思います。そして、その世界の中心に立って、自分たちで世界を創造して、判断して、決定して、行動する経験は、きっと自主性を育てることにつながっていくはず。

なんて考えると、「遊び」の持つ力は偉大だなぁと思います。

そんな「安心・安全」な環境の中に、個人のありたい姿や獲得したいスキルへの目標設定があり、集団を育てる行動規範があり、体験を振り返って学ぶサイクルがあり、ファシリテーターという主役に寄り添った支援者がいて・・・
夢中で遊ぶ中に起こっているプロセスに、意図的に学びを見つけていくのがアドベンチャー教育なんだと思っています。

おバカに遊ぶ大人たちの集まりだけれど、結構哲学的な、崇高な学びをしているんじゃないか!と思うわけです。

 

つづく・・・

クラス全員にとって安心な場所とは?

4月は出会いの季節。

アドベンチャー教育プログラムも、◯◯1年生のクラスづくりの依頼が多い時期です。
この1ヶ月、色々な学校、色々な年齢の子どもたちと児童・生徒・学生と関わる機会がありました。

どこのクラスにも「クラス目標」というものが存在して、「◯◯なクラス」を目指していこう!という話があります。
現場に行って担任の先生と話をして「うちはこんなクラスも目指しています」という話を聞いてから、実際に子どもたちに「どんなクラスにしたいの?」と問いかけると、担任の思いとは違う答えが返ってきたりします。

だれのためのクラス目標なのか?
クラス目標=担任の思いではないはず。

よくありがちな目標と、その矛盾。

「全員が仲の良いクラス」という目標。
全員と仲良くしなきゃいけなくなると、正直苦しい思いをする子もいるだろうな。
大人だって職場で、仲良くない人いるはずなのにね。
でも一緒に力を出し合うことは必要。

「思いやりのあるクラス」という目標。
人それぞれ思いやりの形は違うはず。
積極的に声をかけてほしいの?それともそっとしておいてほしいの?
給食のときの、掃除のときの、授業のときの思いやりって?

「おしゃべりをしない」とか「暴力を振るわない」とか、否定系の目標。
そもそも、やらないことが目標って・・・。
もっと前向きにどうなりたいかを知りたいな。

もちろん、その目標がクラスで決まるまでのプロセスを知らないから、その言葉の裏側にある意味を外部の人間は知らない。
何かクラスの現状として課題があって、それを克服するための目標なのか。
何か生活の中の体験から、エラーがあってそれを改善するために生まれた言葉なのか。

クラスにとっての、子どもたちにとってのリアルな目標ってなんだろう?

また、「なりたいクラス」の目標とともに、それに近づくための具体的な行動がイメージできるといいなぁ。
漠然とした、「協力」や「思いやり」、「信頼」や「安心」は、やっぱり人それぞれイメージするものが違うから。
一つひとつの言葉を、もう少しバラバラに解体したものにしたらわかりやすいのに。

主語をクラスや、目標にすると、やっぱり「◯◯くん」という一人称が見えなくなるんだと思う。

以前、横浜市の認可外保育施設のりんごの木の柴田愛子さんが講演会で、「ルールには人がいない」という言い方をしていたことを思い出します。
「廊下を走らない」というのは、だれが走らないのか?
◯◯くんだったら安全に止まれる。
◯◯くんは急に止まったり避けたりするのが苦手だから、最初から歩いたほうがいい。
年下の子どもたちがいるときはゆっくり歩くけれど、だれもいないのなら走る。

とか。

協力は、だれがどんな風に行動することなのか?
思いやりとは、だれに対してどんな行動をすることなのか?
あの人が感じる安心感と、わたしが感じる安心感は違うはず。

一人ひとりの思いを、体験を通して言葉にして聴き合う場が大切なんだと思う。

安心感は40人いたら40通り、100人いたら100通りの感じ方があるはず。
その全員が「居心地のよい集団」であるためには、どんな言葉がしっくりくるのか?


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今年、仲間たちと始めた市民農園のジャガイモ。
芽の出し方だって、それぞれだよね。

アイスブレークの活動が大切なんじゃなくて、クラスのメンバーが、
「みんなで居心地のよい場所を作っていきたい」と思って、言葉にして、行動にするための支援をするのが、ぼくらファシリテーターの仕事なんだと思う今日この頃です。

アクティビティよりも、コンテンツよりも、みんなの納得感と気持ちが大切なんだなぁ。

ファシリテーターの言葉の選び方

言葉を上手に使える人は素敵だなぁと思う。

子どもに伝える言葉、教員に伝える言葉、保護者に伝える言葉、ちょっとやんちゃな子どもに伝える言葉(笑)。

「むずかしいことをやさしく、
やさしいことをふかく、
ふかいことをおもしろく、
おもしろいことをまじめに、
まじめなことをゆかいに、
そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」 井上ひさし

そんな風に言葉を使える人になりたい。

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