幼児の脳と関連付け

朝起きてきて、抱っこをしながら

「ほっぺに、ちゅ」「もひとつ、ちゅ」
と、昨日図書館で借りた絵本のフレーズを真似しながら息子のほっぺにちゅ☆

どうも、親バカです。

 

幼児の、脳の関連付け機能がすごいなぁという話。

10年ほど前にマインドマップの講習会を受けたときに、脳は関連付けて記憶していったり、アイディアを広げていくということを学びました。

Sakutoと遊んでいて、「はっ!!」とした顔をして、何かにピーンとくる場面にたくさん出会います。

何かの体験や言葉から絵本を思い出して、慌てたようにとりにいくこと。
色や形から連想して、何かに見立てること。
モノから人を思い出すこと。

いろんなことが関連付けられていく世界。

 

そういう意味で、体験を重ねることって大事だなぁと思います。
絵本で見たコンクリートミキサー車、運転中に実物を見て、また絵本で見て「あのとき見たね」って話をして、かまぼこ型の積み木を見て「こんくりーとみきさーしゃ!」って見立ててみて・・・
そのときの色、だれと見たか、どういう状況で見たかetc…

ときには、「この積み木、コンクリートミキサー車みたいだね!」って大人が面白がって見立ててみたり、「昨日コンクリートミキサー車、見たね」と「振り返り」的なことをしてみたり。

一つのモノや出来事に、複数の情報や感情が関連付けられてくる。

 

「ほっぺにちゅ」「もひとつちゅ」ってやった後の息子は、思い出したように走ってその絵本を取りに行き、「きのー、としょかんいった」「トト(父)とかりた」と言っていました。
そして、朝食後には生後2週間の次男のほっぺに「ちゅっ!」とやっていました。

すごいことだなぁと思います。

 

・ー・ー・ー・ー

体験教育プログラムをやっていて、体験の意味付けはとても大切なこと。
朝一番にグループが体験した活動のことが、お昼過ぎに別の体験でふっとつながってくることがあります。

グループが朝どんな体験をしていたかをすでに忘れていたり、後にだれもそれを言及しないと、それぞれが点で終わってしまう。けれど、ちょっとした「振り返り」によって、点と点が線になる。

また、それらの体験がグループのだれかの日常と結びつくことで、点と点と点で面ができたり。

大きくなるに連れて、点と点を線で結ぶ習慣を忘れてしまう人が増えるような気がします。
これとそれを関連付ける直感力は、幼児のほうが長けているのかもしれないなぁ。
その柔らかさは、大人が失いたくないもの。

大人にできることは、
子どもの妄想連想を肯定すること
連想が広がるように促すこと(「それで?」「なんだっけ?」)
連想が広がるような「つながり」のあるモノやコトを用意する
ニコニコ見守る

とか?

支援の感覚

息子Sakutoが1歳1カ月のこと。

「初めの一歩」はすでに見ていたものの、公園でいきなり7歩歩き、父(とと)びっくり。

と、その帰り道に滑り台に興味深々。
抱っこを下ろすと、一人でハイハイしながら滑り台へ。

下から逆登りをしようとし始める。

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靴下が滑るので、脱がしてみる。

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すると、まあなんということでしょう!!

右側の縁を持って、登り始めるではないですか!

興奮する父。
登る子。

・・・

さらに登る子。
わくわくしながら写真を撮る父。↑上の写真がそれ。

・・・

だんだん焦る父。

・・・

落ちてもよいように、下に手を構えておく父。

・・・

ぐんぐん登る子。
手が届かない高さになって、慌ててリュックと抱っこひもを下ろす父。

・・・

ずり落ちるのを想定して下から追いかけて登るか、登りすぎて向こう側に落ちるときのために階段側から急いで登って上で待つか悩み、さらに焦る父。ドキドキ。

・・・

階段から駆け登り、上で両手を広げて待つ父。
笑顔で楽勝で登り切る子。

安心する父。

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._._._._._._._._._._._._._._

自分の立ち位置、手の出し方、焦りやドキドキ感の気持ち。
→もしかしたら落ちるんじゃないかという不安感。
→まだこの子には登れないんじゃないかという疑い?

普段、人のチャレンジを信じて待つべし!とかなんとか言いながら、まんまと我が子の突発的チャレンジを不安な気持ち満載で狼狽えながら関わった自分でした。

自分が同じ立場になって想像できること=経験していること(覚えていること?)には、ある程度の予測を持って見守ることができる。

何が起こるかが想像できないとき、大人として、支援者として、どんなスタンスで関わるか。
「万が一」の事態を想定することは大切。

心のどこかで「できないかもしれない」という疑いを持って見守るのか、「きっとできるはず」と信じて見守るのか?

子どもの行動を心から信じること。

その心の持ちようは、ぼくらの表情や言葉の端々にあらわれて、子どもに伝わるんだよなぁ。

支援の選択肢

「子どもの支援」をテーマに、ある保育園の研修を担当させていただいたときのこと。

一人の男性保育士が、「木登りで、子どもに『おしり押して!』と言われると悩む」ということを話してくれました。

そこに悩めるって素晴らしいことだと思います。

で、結局のところ、子どもや状況によるので答えはないのだと思いますが、自分の中でどんな選択肢があるのかを考えておくことって大切。

・子どものおしりをしっかり押して登らせて上げる?
・とりあえず木の真下に立って、落下したら受け止めてあげる準備をする?
・「大丈夫。◯◯ならできると思うよ」と勇気づける?
・「両手で押す?それとも片手?それとも小指だけ?」と押す選択肢を渡す?
・「本当に押してほしいの?それとも一人で登りたいけど登れないと思っているの?」と確認をしてみる?
・押もせず、近くにもいかずに見守る?
etcetc…

 

「一人で登らせたい」、「成功体験をさせたい」というのは、大人の願い。

「とりあえず登りたい」、「自分で登れるようになりたい」、子どもはどんな願いを持っているのか?

となると、やっぱりチャレンジャーの目標=「どこまでいきたいか?」「どうやっていきたいか?」を知ることなしに、支援の形を決めるのは難しいと思うわけです。

だから、ついつい「どうしたい?」と聞いてしまいます。

登れないことは失敗ではなく、試行錯誤のプロセスの一部だと考えられる支援者でありたいし、子どもたちにもそう考えられるようになってほしい。

今日は手伝ったから登れた、明日は一人で登れるかもしれない、そんなことが起こるかもしれない。