介入する傲り vs. 介入しない怠慢

アドベンチャー教育プログラムのファシリテートをするとき、基本待つのが好きなんです。

課題解決のアクティビティを提案して、ルール伝えて、確認したら、あとは参加者に任せる。
たまに質問が来たら答える。
活動中は、声かけたり、応援したりするのも控える。

安全管理のスポッティングだけ入って、あとは気配消して、グループや個人の様子を観察して、振り返りで触れる「気になった場面」や「問い」を考えている。

グループメンバーが主体となって、活動が進んで行く・・・

そんな関わりがいいなぁ。

・・・と、思いつつ先日小学校4年生のロープスコースでの体験をファシリテートしたときのこと。

グループとしては、
・自分のことが大事で、相手のことをあまり大事にできていないようなコミュニケーション
・誰が一番最初に行くかで揉める様子
・意見を言うけど、聴けない=意見が場に溢れて、だれも拾わない
・合意形成に至らない

そんなグループ。

最初の課題解決は、やり取りがうまくいかない様子を見守って、見守って・・・
もちろんうまくバランスが取れないから失敗して。

振り返りで、「人の意見を聴くことの大切さ」「自分勝手な行動をしない」「もっと周りを思いやる」なんて話が出たわけです。

よしよし(笑

で、次のチャレンジにいったところで、また活動に夢中になるがゆえにさっきの振り返りを忘れて、ゴチャゴチャ、ワイワイ、ムキー!となる子どもたち。
介入して、さっきの振り返りで出た話をリマインド。

でも、子どもたちの行動に変化は表れない・・・。

ここで、
・残り時間の少なさ
・子どもたちに一度成功体験をしてほしいというファシリテーターとしての願い。
(成功体験をすると、グループが変容するんじゃないかという予想)

なんてことを考え、積極的に介入を意識し始める。

・ポジティブな行動が見られたら、積極的にフィードバックする
・意図的な作戦タイムを提案する
・作戦タイムで話し合ったことを、確認、リフレーズ、リマインドする
・そこで言い争いのようになったときの、感情を代弁してみる(「◯◯は、一番に行きたかったんだね?」「一番にやりたかったんだって。」「でも、××もやりたかったんだよね?」)

などなど。
で、メンバーの一人に「ねーりょうちゃん、早くやろー」と言われる(笑
あ、話長くなってごめん・・・の瞬間。

でも、そこから少し行動が変わったり、コミュニケーションがお互いを大切にしている風になってくる。

1時間後に課題解決を達成。
笑顔と拍手とハイタッチ。

振り返りでは、ポジティブな感想や自信につながる言葉が出てくる。

・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・

介入をしたことで、グループに変化が見られるのは、ファシリテーターとしてうれしい瞬間。

でも同時に、時間はかかっても、介入なしにグループが主体となって解決できたのでは!?と思うこともあるわけで。
グループの力、子どもたちの力を過小評価してる?

「ファシリテーターの介入がないと、グループは課題解決ができない」
「ファシリテーターの介入がないと、グループに学びは起こらない」

と、考えるのは傲り。

でも、介入しないのは怠慢。

今日も、ファシリテーターとしてのバランスを試行錯誤・・・
日々修行なり。

ドラムサークル ファシリテータートレーニング

昨年に続き、佐々木薫さんにお願いをして、ドラムサークルのファシリテータートレーニングを山中湖近く、富士山を目の前に見ることのできるお寺で開催。

IMG_5252

ドラム、パーカッション、焚き火、ダッヂオーブン、コゲラ、ムササビ、薪ストーブ、初卵のTKG、手作り醤油、ツリーハウス、野草etc…

IMG_5265

圧倒的な非日体験な二日間。

そもそもファシリテーションってなんだっけ?とか、ファシリテーターがやっていることを再確認してみたり。

普段アドベンチャー教育プログラム( PA)の体験を提供する側としては、ドラムサークルをやりながらも、アドベンチャーとつなげて考えてしまう。

  • 一人一人の自由が尊重される場、作れているだろうか?
  • 「できないこと」ではなく、「できること」を大切にしているだろうか?
  • 参加者の自立を促す(エンパワーメント)ことを前提として活動しているだろうか?
  • アイスブレークとかいいながら、ファシリテーターが主導で、自立を阻害していないだろうか?
  • PAの導入で、ファシリテーターの言葉やボディランゲージは、参加者に何を伝えているのだろうか?
  • グループアセスメントをするときの、ファシリテーターの癖はなんだろうか?(視覚、聴覚、直感、思考、感情etc)

この研修でいつも思うことは、意外と自分は「周りからどう見られているか?」を気にしているんだということ。

「この人はどんな人だろう?」と、視点を自分ではなく、相手に移すこと。
自分はどう見られても、そもそも関係ない。

ちょっとした思考の違いで、まったく異なる自分自身のあり方になるんだ。

大事なことをたくさん思い出しました。
よき時間なり☆

おにごっことPAと言葉のサイズ感

今年も新春ゲーム祭りへ。

今回は、最近読み始めた加古里子さんの伝承遊び考 3 鬼遊び考」のおにごっこをやってみたり、知っているアクティビティをアレンジしてみたりして、1時間ファシリテートさせてもらいました。

プロジェクトアドベンチャー(PA)を学校やコミュニティ向けに教育プログラムとしてやる際には、「人と人との関係性」を大切にしてやっています。

そうすると、自然と「言葉」や「行動」の選び方も丁寧になってくるわけで。

 

叩く>タッチする>優しくタッチする

とか、

タッチされたら・・・
死にます>アウトです>外れてください>外で待っててね>外側から積極的に関わってみてね!

とか、言葉のサイズ感の大小や、ポジティブ度の高低があります。

その言葉の選び方一つで、子どもたちの意識が変わる。

 

尊敬する木楽舎のつみ木研究所の「つみ木おじさん」こと荻野雅之さんは、子どもたちに高く積んだつみ木を片付けてもらうときに、

決して「壊す」という表現を使わない。

ふむ。
「崩す」ならどうかな?「倒す」だったら?

おじさんは、「つみ木を抱きしめてやってくれ」と言っていました。ステキでしょ!

 

さらに言うと、せっかく関係性を作りたいのに、「相手の手をひっぱたいてください」みたいなゲームをやる必要性はないと思う。

そういう意味では、本に載っていた「尻たたきおにごっこ」なんかは、教育の場で、意図的にやることはなかなかないと思うわけです。

でも、近所の公園で仲良し男子グループが、「よし、けつ叩きやろーぜ!」みたいに、木の棒拾って、「尻たたきおにごっこ」なんかやってたら、嬉しくなっちゃうだろうな。

思いっきり叩くと、友だちが本気で泣くから「加減」を覚えたり。。
異年齢だったりすると、自然とお互いの「配慮」ができるようになったり。

社会的なスキルや感覚を学ぶ、すごくいい遊びだなぁ。
でも教育の場では使わないゲームだなぁ。

 
それにしても、初対面の大人たちが、隣の人のお尻を新聞紙丸めた棒で叩きながら追い回すって・・・(笑
一緒にやってくれたみなさま、ありがとうございました!