おフロにケータイもっていきたい!

Saku(2歳5ヶ月)は、お風呂におもちゃを持っていきます。

「おフロはいらなーい!」とか言っているときでも、

「なにもって入る?」と聞くと、

「ゴミしゅうしゅうしゃーもってはいるー!」と、前向きにおフロに向かってくれます。(はず!)

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今日の出来事。

S「おフロにケータイもってはいるー!」

父「えっ!おフロにケータイ持ってくの?う〜ん。濡れたらこわれちゃうからなぁ」

S「もってくの〜!」

父「ケータイ持って、おフロ入りたいんだね〜。でも、ケータイはおフロ入れると壊れちゃうからなぁ。」

・・・の繰り返しを2〜3ラウンド。

S「いや〜!もってくの〜!」

父「持って行きたいんだよね。でも、壊れちゃうからなぁ。こまったなぁ。」
「どうしようか?」

・・・の繰り返しを2回ほど。

 

最終的に、

父「こまったなぁ。どうしようか?」

S「・・・」
ケータイを握りしめながら、15秒ほど無言で考えてから・・・

 

ふとケータイを机の上に置いて、別のおもちゃを探しにいくではないですか!

ナイス、自己判断!!

 

ケータイ握りしめて、無言で考えていたあの15秒は、とっても価値があると思うのです。
2歳だって、自分で考えて、自分で判断して、自分で行動できるのだ!

ついつい、
「ダメだから!」とか、「いいかげんにしなさい!」とか、「それはやめて!」とか、大人が結論を出すことが増えてしまいがち。

毎回こんなにうまくいかないけれど、こんな関わりを大切にしたいのです。
時間と、心に余裕があるときくらいはね。

 

結局今日は、プラスチックの野球ボールを持って入って、沈めたり浮かべたり。
小さな穴からお湯が入ってしまって、それをギュッとだしながら、「おしっこ〜〜!」☆

子どもが持っていて、大人が失ってしまう感覚

イヤだイヤだ!全開のSakutoとの日々を楽しんでいます。
服着るのもイヤ!お風呂に入るのもイヤ!
みかん食べるのも、ホットケーキ食べるのも、大好きな車のおもちゃで遊ぶのもイヤ(笑

先日、図書館で借りてきた絵本を読んでいたときのこと。

ああ、大人になると失う感覚だなぁと思ったことがありました。

 

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S「これは?」

父「なんだろーね?」

S「あおいハサミ!」「きいろいハサミ!」

「これはうさぎである」という思い込み、固定観念・・・

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たまに、授業や企業研修で使う、だまし絵。
その名も「アヒルうさぎ」(笑

皆さんは、どっちに見えますか??

・ー・ー・ー・ー

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父「おとうさんは?」

S「これ(手前のネックレスのおかあさんを指差す)」

父「じゃあ、おかあさんは?」

S「これ(奥のネクタイのおとうさんを指差す)」

違いは服装。
ネクタイ締めていたら男性、とかネックレスしてたら女性とか言い切れない時代。

まあ、さらにこの顔・・・(笑

何事も「そうではない可能性」を頭の片隅に想像できることって、とても大切だと思っています。
ぼくらは、決めつけ、思い込みをたくさん持って生活しているんだなぁ。

そうではないモノの見方を、いつも息子から学ばせてもらっています。

 

 

 

「ちゃんと遊びなさい」って?

先日参加した、「子育ち」のお試し講座。

青葉区の情報サイト「森ノオト」の2014年の「子育ち講座」レポート
http://morinooto.jp/news/kosodachi/

 

遊びの空間作りや、親の関わり方など、色々と学ぶことが多くありました。

その中で、いいなぁと思った話。

親が遊びに指示を出す。
→それは、すでに遊びではない

いいぞーー!!

 

「ちゃんと遊びなさい」
→ちゃんと遊んだら、遊びじゃなくなるよ

いいぞいいぞーー!

 

おもちゃは壊れるからおもちゃなんです。

おおーー!!

 

公園で息子と遊んでいると、遊びに指示を出す親がたくさんいるわけです。

「おともだちやりたがっているから、代わってあげなさい」

「危ない滑り方するんじゃないの!」

「水は使わないこと」

「ほら、自分でやりなさい」

「しっかり登るの!」

 

自分が子どもだったら、ほっといてくれ!!って思うだろうなぁ。(笑

・ー・ー・ー・ー

「遊戯の目的は、行為そのものの中にある」(ホイジンガ 1938)

つまり、行動自体、もしくは行動していることに意義があるということ。
意味がないから「遊び」
目的がないから「遊び」

だから体験学習法は、「遊び的な要素はあっても、遊びではない」。

構成された授業や研修の中で、遊びのようなゲーム(アクティビティ)をやっても、それは「遊び」ではない。

だから、僕はアドベンチャー教育プログラムやワークショップなどでは、「遊びのような活動を通して」という表現を使っています。
本当は、目的を持たずに無条件に遊びたいけどね。

人が夢中になって遊んでいる時間には、実はたくさんの学びは起こっているんだと信じています。
「あそび」からは、知識、技術、経験、様々なことを得ることができるんだよね。