森のシンガーソングライター山田証さんのライブ。
野草を食べたり、森や木のことを体験したりしながら、自然の中で音楽を聴く。
(証さんのホームページ:http://akashi.uzura.info/)
夜の森にみんなでごろんと寝転んで、木を見上げながら歌を聴く時間。
不思議な時間で、よい体験と気づきがあったからメモ。
◆呼吸が深くなった
寝転んだときには、完全に鼻がつまっていた。
ゆったり意識を自然に調和させて、ゆったりゆったりしていたら、3曲目の終わりのころに
すーーーーっと、深い呼吸ができた。
今年、一番深い呼吸。
リラックスしたからなのかな?
心地よさ、感謝。
◆見えていないこと − 見えること – 見えていないけれどそこにあること
寝っ転がってしばらくは、空の明るさや木の幹の黒さが見えていた。
しばらくして、枝の先の方が風で揺れていることに気が付いた。
木の枝はどこまでが揺れているんだろう?
枝の太くなるどのあたりから?
幹は揺れているの?
先日買った528Hzの音叉。
音が聴こえなくなったと思ってしばらく経ってから、音叉を耳に近づけると実はまだ鳴っている。
自分にとって聴こえる音はなくなったと思っても、実はまだ鳴っていて振動している。
聴こえていないのは、自分の立ち位置だったり、意識の問題で、実はそこに存在している。
枝が揺れているのも、自分に見えている部分は一部で、実は見えていない・気づいていないけれど、もっと揺れているわけで・・・。
子どもや大人に関わらず、グループワーク的なことをやっていると、
学習者の行動・思考・感情について、
- 見えていない・気づけていないこと
そもそも視界に入っていないし、聴こえてもいない。はたまた想像もしていない。 - 見えている・気づいていること
PAで言えばGRABBSS(グループアセスメントのツール)で参加者を観察・評価して、色々な視点で得られている学習者やグループの情報。 - 確かにそこにあるけど、気づけていないこと
見えていると思って、見えていない。
聴こえているけれど、その本質を理解できていない。
共感しているつもりだけれど、寄り添えていない。
「わかった気」になっている時、相手が本当にそうなのかわからないので盲目的になる。
常に、「かもしれない」という可能性を想像して、興味を持って相手に関わり続けるのが大事なんだろうな。
