4月は出会いの季節。
アドベンチャー教育プログラムも、◯◯1年生のクラスづくりの依頼が多い時期です。
この1ヶ月、色々な学校、色々な年齢の子どもたちと児童・生徒・学生と関わる機会がありました。
どこのクラスにも「クラス目標」というものが存在して、「◯◯なクラス」を目指していこう!という話があります。
現場に行って担任の先生と話をして「うちはこんなクラスも目指しています」という話を聞いてから、実際に子どもたちに「どんなクラスにしたいの?」と問いかけると、担任の思いとは違う答えが返ってきたりします。
だれのためのクラス目標なのか?
クラス目標=担任の思いではないはず。
よくありがちな目標と、その矛盾。
「全員が仲の良いクラス」という目標。
全員と仲良くしなきゃいけなくなると、正直苦しい思いをする子もいるだろうな。
大人だって職場で、仲良くない人いるはずなのにね。
でも一緒に力を出し合うことは必要。
「思いやりのあるクラス」という目標。
人それぞれ思いやりの形は違うはず。
積極的に声をかけてほしいの?それともそっとしておいてほしいの?
給食のときの、掃除のときの、授業のときの思いやりって?
「おしゃべりをしない」とか「暴力を振るわない」とか、否定系の目標。
そもそも、やらないことが目標って・・・。
もっと前向きにどうなりたいかを知りたいな。
もちろん、その目標がクラスで決まるまでのプロセスを知らないから、その言葉の裏側にある意味を外部の人間は知らない。
何かクラスの現状として課題があって、それを克服するための目標なのか。
何か生活の中の体験から、エラーがあってそれを改善するために生まれた言葉なのか。
クラスにとっての、子どもたちにとってのリアルな目標ってなんだろう?
また、「なりたいクラス」の目標とともに、それに近づくための具体的な行動がイメージできるといいなぁ。
漠然とした、「協力」や「思いやり」、「信頼」や「安心」は、やっぱり人それぞれイメージするものが違うから。
一つひとつの言葉を、もう少しバラバラに解体したものにしたらわかりやすいのに。
主語をクラスや、目標にすると、やっぱり「◯◯くん」という一人称が見えなくなるんだと思う。
以前、横浜市の認可外保育施設のりんごの木の柴田愛子さんが講演会で、「ルールには人がいない」という言い方をしていたことを思い出します。
「廊下を走らない」というのは、だれが走らないのか?
◯◯くんだったら安全に止まれる。
◯◯くんは急に止まったり避けたりするのが苦手だから、最初から歩いたほうがいい。
年下の子どもたちがいるときはゆっくり歩くけれど、だれもいないのなら走る。
とか。
協力は、だれがどんな風に行動することなのか?
思いやりとは、だれに対してどんな行動をすることなのか?
あの人が感じる安心感と、わたしが感じる安心感は違うはず。
一人ひとりの思いを、体験を通して言葉にして聴き合う場が大切なんだと思う。
安心感は40人いたら40通り、100人いたら100通りの感じ方があるはず。
その全員が「居心地のよい集団」であるためには、どんな言葉がしっくりくるのか?
今年、仲間たちと始めた市民農園のジャガイモ。
芽の出し方だって、それぞれだよね。
アイスブレークの活動が大切なんじゃなくて、クラスのメンバーが、
「みんなで居心地のよい場所を作っていきたい」と思って、言葉にして、行動にするための支援をするのが、ぼくらファシリテーターの仕事なんだと思う今日この頃です。
アクティビティよりも、コンテンツよりも、みんなの納得感と気持ちが大切なんだなぁ。